皇帝、反抗的な王子、そしてひとり子

David H. LindenさんからSayakoさんへ

 

この世、そしてその中に存在する全てのものは良き神によって造られました。私はこの神を偉大なる皇帝とよびましょう。彼は、全てのものと全ての人々の上に存在する正しい支配者です。彼は生きている霊を沢山造られました。その中の幾つかの霊には、高い位を与えられました。特にその中の一つの霊は、選ばれそして高められた天使とされ、皇帝に仕える特別な下部となる為に造られました。この天使は非常に美しく、他の沢山の霊に大きな影響を与える事になりました。この高慢な天使は、遂に反抗する王子となりました。高慢にどっぷりつかり、反抗的な王子は自分自身の事しか考えなくなりました。彼は、皇帝、皇帝の永遠なる息子、そして彼らのパートナーである永遠なる偉大な霊だけが受ける事が許されている敬意を、自分も受けるに値するものだと思っていました。

 

全ての天使が反抗的な王子に従ったわけではありませんが、大多数がそうしました。その為、皇帝は従った者は違反者として定められ、罰されることを明確にされました。その後直ぐに、従った幾つかの霊が牢に入れられ脱出不可能の状態に置かれました。反逆が起こった事について、皇帝も皇帝の息子もパートナーである霊も全く驚きませんでした。それは、反逆を驚くばかり素晴らしい目的に使おうと日頃考えていたからです。それまでは赦された者は誰一人としていませんでした。これは無論赦されるに値する者が誰もいなかったからです。今まで天使達が見てきた神は、神が従順な者と不従順な者に公平に示す義でした。要するに、神は従う者を祝福し従わない者を呪うという事でした。誰一人として、皇帝、皇帝の息子そしてパートナーの霊が優しさを反逆者に示してくれるなどとは考えもしていなかったのです。これは全く考えられない事であり、未だかつて一度も起こった事がありませんでした。

 

神様は天と地を造られました。神様は又光、太陽、月そして星を造られました。更に神様は、植物と動物そして私達に必要な水を造られました。これらの後、神様は御自分が造られたものを見て、「これで良い。」と言われました。これらの創造は、天使達を造られた時に創造とは異なるものでした。天使は肉体がなくても活動出来ましたが、私達人間は肉体を道具として使わなければ何も出来ません。私達人間は実に肉体ある創造なのです。

 

この壮大な創造にあってできた一番の宝は、人(人間)です。人は神様により男と女に造られ、又皇帝、息子、霊の関係に見られる様な、平等関係と役わりの内に男女が生活する様にされました。植物や動物は神についての知識をもっていません。人間だけが神を知る様に造られたのです。皇帝(神様)は、この世の全てものの上に人間を置かれました。神様は動物さえも人間の支配の内に置かれ、それぞれの動物に名前をつける様にされました。

 

太陽と月は選択の余地が与えられていなかった為、ただ神様の御心を行いました。それとは対象的に、人は自分の心から神様に従いました。人は又神様に従う事を拒否する事も出来ました。その為、皇帝は人に選択する事を許し又彼の為に美しい女の人を造られました。又人は命の木から食べ生きる事、もしくは神様が食べてはいけないと命令された木から食べる事が出来ました。神様の命令は明確であり、人にも神様に従わなかった際に受ける罰が何であるかが分かっていました。

 

ある日反抗的な王子がやって来ました。彼は非常に巧妙で、尚且つ偉大な力をもっていました。神様の御言葉(命令)は人には明確でしたが、反抗的な王子はそれをあたかも神が人に与えた意地の悪い規制のごとく、人の目に映るようにしました。王子は最初に女を騙し、それに夫であるアダムがまんまと騙される様にしました。過去にもあった様に、今回も誰かが皇帝に背きました。背いた人は、皇帝から命と全ての祝福を頂いていたにもかかわらずそうしました。天使達には人にこれから起ころうとしている事が、一体どんな事であるのか疑いの余地はありませんでした。彼は死に、また女も同様に死ぬという事です。この事で反抗的な王子が、全人類を抵抗出来ない束縛に陥れた様に一見見えました。これにより、私達人類の先祖が美しい園から追い出されるのです。更に彼らは、神様の前からも追放されました。神の真理についての理解も、人が邪悪な反抗者の騙しにかかって以来、人間の中で低下していきました。人間は神様に対して死に、その結果反逆者の捕虜となってしまいました。全人類は肉体的に死んでいく事、そして何か神秘的な変化が起こらない限り、全ての人間は神様から切り離され二度と元の状態に戻されなくなるのです。非常に暗い状況です。

 

男と女が神の園から追放される前、神様が現れ大変なお知らせをされました。神様は悪魔をじっと見つめ、起こってしまった事は元に戻す事が出来ないと言われました。起こってしまった事実とは、邪悪な反抗者(王子)が女を騙し陥れたという事です。(女の夫は、彼女が王子に騙され最終的に罪を犯してしまうのを防ごうと介入する所か、ただ黙っていたのです。)更に神様は悪魔に次の事を告げました。それは悪魔が女を騙したように、神様も女の人を用いて悪魔王国の崩壊をもたらす事です。将来ある偉大な人物が一人の女の人から生まれ、彼は最終的に反抗的な王子の頭を踏み潰してしまうのです。この人物を通して、皇帝は反逆者に対して戦争を起こします。このすさまじい争いは、何数世紀にも渡り繰り広げられます。

 

神様と悪魔は、人が予想するものと全く異なった軍隊、手段そして武器を用いて戦うようになります。悪魔との戦いにおいて神は、一見貧弱であるが実際は効果的で力のある手段を用いる事を好まれます。それは次の通りです。神のひとり子が、貧しい女の人の元に赤ん坊としてお生まれになります。彼女が抱いている赤ん坊は全人類の救い主なのです。それとは対照的に、邪悪な王子は自分の力ある地位を存分に使う事を好みます。彼の手段は脅したり、強制したりする事です。彼は又嘘や騙しを日常会話の様に使うでしょう。彼は無慈悲で、国々や人々を破壊する事を喜びとします。悪魔は更に、無数の神々を造り出し唯一存在する真の神の代わりとしてしまいます。彼は囚われの身にある人々が、互いに憎み合い、殺し合い、騙し合い、そして誇り合う事を望みます。悪魔は、彼を慕い付き添っていく者がそれをする事で、神から報いを受ける事ができるのだと偽ります。彼は人々に偽りの望みを持たせ、彼らを永遠の絶望に陥れる時喜びの悲鳴をあげるのです。彼は私達に罪を犯せと誘惑し、私達が犯した罪を取り上げ自分が私達にそうせよと仕掛けたにもかかわらず、私達を責め咎めるのです。悪魔は地球上に存在する究極なる恐怖です。しかし、そんな悪魔であっても皇帝(神)を倒す事は出来ません。悪魔は、依然として人の心が真理なる神様に向かぬ様に仕掛けます。しかし、悪魔が人々を押さえつけていられる時は限られていて、最終的に皇帝が悪魔を倒す時が訪れます。

 

聖書では言っていませんが、私達の中にはこの様に考えている人達がいます。放蕩王子の反抗は、彼が以前皇帝(神)から人が神によって造られる事、そして人はやがて罪に落ちていく事、そして最終的に偉大なる者の介入によりこの世が救済され、神は再びこの世を取り戻す事ができると聞いた事が引き金になったのではないか、という事です。天使達の役目はそもそも、救われていく人間に仕える召使いとなる事でした。この事は、鼻高々な誇り高き天使にとって耐え難い事でした。それとは別に従順なひとり息子にとって、神なるお父様に仕える者となり、人間が救われる為に自分の命を犠牲にする事は耐え難い事ではありませんでした。通常なら皇帝と同じ位にあるべきお方なのに、その息子は自ら人になられました。それに反して、皇帝の息子より遥かに地位が低いサタン(悪魔)は、その様な卑しく低い仕事は御免だと主張し、拒否しました。悪魔にとって人間に仕えるより、支配する方が好ましかったからです。真の友とは私達にとって一体誰でしょう?私達が破壊に向かう事を何よりも喜ぶのは一体誰でしょう?

 

神の御子は人となられ、イエスという名が与えられました。この名前の意味は救い主で、神の御子であられるイエス様にとってぴったりの名前でした。イエス様は人としてダビデ王の町に誕生され、その後ガラリヤという人目につかない程の町で成長されました。彼の兄弟達も、イエス様が神の子である等とは彼が十字架で死なれ、よみがえられるまで信じていませんでした。古き誘惑者である反抗的王子が荒野でイエス様に出会い、罪を犯させようと懸命に努めましたが、悪魔(反抗的王子)の策略は大失敗に終わりました。この事からも分かる様に、この地球における長い歴史の中で罪を一度も犯した事がない人間がたった一人存在する訳です。

 

私達人間を救う為には、神の子が人である事又その上義人である事が不可欠です。新約聖書にある4つの福音書(マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ)を読むと、イエス様がこの2つの条件を満たしていた事が明確に理解出来ます。この事は一つの恐ろしい、しかしやむを得ない事実を私達に投げかけています。もし私達人間の先祖であるアダムとエバが美しき神の園で神様の命令に従わなかった時、神様はその罰として人間に死を宣告されました。私達人間を死の状態より回復する為には、私達の罪が記録から消される必要があります。罪に対する罰は、その罪を犯した張本人又は彼の身代わり人の上に課せられなければなりません。私達人間の犯した罪の為に、自ら身代わりとなってくださった方がいます。それは偉大なる皇帝(神)のひとり子であられるイエス様です。神様は、イエス様をこの目的の為に私達の所へ送って下さいました。私達の罪が赦され、永遠の命を持つ事が出来るという望みは、私達の代わりに捧げられるイエス様の体と血にかかっているのです。私達人間が元の状態に回復される為に何が必要であるか、父なる神様又神の子には分かっていました。この世が造られる以前から、父と子は永遠に神様のこどもとなり永遠に感謝と喜びに溢れるようになる人々を救おうと決心していました。人間の先祖であるアダムは私達を失望させました。しかしイエス様は、私達をその失望から救いあげる為に来られました。

 

この様に、この事は本当に起こりました。イエス様は私達の為に十字架上で死なれたのです。これにより、彼は私達を神様と和解させて下さり、私達に対する神の怒りを私達から離し、更に私達を罪の罰から完全に解放して下さいました。彼は私達を私達の内にある罪から救い出して下さり、悪魔からも救い出して下さいました。金曜日にイエス様は、私達が受けて当然である罪の罰を身代わりとして私達の為に受けて下さいました。同じ日にイエス様は十字架に架けられました。その数日後の日曜日偉大なる皇帝であられる神様は、イエス様に彼が受けて当然のものを与えました。それは十字架の死から(よみがえる)復活する事です。復活の後、イエス様は父なる神様の隣に着座されました。

 

神様は神の子を信じる全ての者に、罪の赦しと永遠の命を与えて下さいます。力ある神の霊(聖霊)が、神の言葉(聖書)を私達が聞く事、そして伝える事が出来る様にして下さいます。イエスキリストについての良い知らせ(福音)によって、聖霊は私達罪人がイエスキリストを信じる事が出来る様にして下さいます。神様は私達を神のこどもとして受け入れて下さり、神の霊(聖霊)を私達の内に置いて下さり、神の命令と教えを私達の心に書いて下さり、私達のお祈りを聞いて下さり、更に私達を一生涯守って下さります。誰も私達を神様の御手から取り去る事は出来ません。

 

この地球は依然として、美しさと哀れさが混ぜ合わさっています。地球には、神様の働きと反抗的な王子(悪魔)によってもたらされた荒廃とが交じり合っています。神様はイエス様を再びこの世に送られると約束されています。その時神様は、悪魔を含めた全ての悪を除き去ります。又その時に神様は神のこどもたちを、父なる神様、子なる神様、そして聖霊なる神様がおられる永遠の楽園に連れて行かれます。その時天国は、救われた人々の歌う喜びの声で満ち溢れることでしょう。その時神様に対する私達の思いは、全て驚きと感謝に変わります。この世において、私達は反抗的な王子に従って永遠の火の海に入るか、もしくは忠実な神のひとり子に従い永遠の命に入るか、といういずれかの選択をしなければなりません。